2013年8月6日火曜日

あそび心

先日、業務で美里町方面に現地踏査に行き、石橋を見て回りました。
熊本県内には696基の石橋が確認されており、美里町には45基の石橋が在るとされています。(『日本の石橋を守る会』)霊台橋をはじめ、雄亀滝橋・二俣橋・馬門橋など、芸術的なほど優美で、石垣積み工法でもユニークな石橋が多く在ります。
私は隣町の山都町の出身で小さい頃から通潤橋を遊び場として育ったせいか、石橋には人一倍愛着があります。その中で、私の好きな石橋のひとつに下鶴橋があげられますが、理由は私が酒をこよなく愛するからともいえます。



下鶴橋は国道445号を御船町から山都町に行く途中、御船川と八勢川の合流点(八勢川)に架かっています。【1886年(明治19年)完成】
東京の二重橋や日本橋をはじめ通潤橋などの架設で有名な、名工・勘五郎、晩年の作です。二男の弥熊が初めて架けた眼鏡橋としても有名です。

好きな理由は親柱の外の高欄(欄干)のデザインが大変ユニークだからです。
なんと、高欄が徳利(とっくり)型にくり貫かれているのです。

 
反対側は盃(さかずき)型です。
 
酒愛好者にはたまらなく好きになってしまう石橋じゃないでしょうか。
酒好きの弥熊が記念に残したといわれていますが、明治19年といえば御一新の世情も落ち着いてきており、この石橋も熊本県の依頼で勘五郎親子が請け負ったのでしょう。
仕事も設計段階、施工段階、竣工においてそれぞれ検査があったのでしょうが、よくもこんなデザインを許可したなと思いました。

当時の人々の、気持ちの大らかさ・あそび心・茶目っ気というか、またそれを許した官側の度量の大きさに感服です。
いや、現代があまりにも・・・・という所で、フーッとため息が出ました。

弥熊はその後、下鶴橋のたもとで一人の娘と出会いこの橋の見える地で幸せに暮らしたといわれています。橋のたもとの桜の下で、酒を酌み交わす当時の人の姿が目に浮かびます。
もちろん、復路は故郷の山都町経由で帰り、通が飲む酒。銘酒『通潤』を購入しました。
ちなみに左岸側の高欄は普通のデザインでした。


















文責 KO

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